山梨県・甲州市・恵林寺

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【 概 要 】−恵林寺(山梨県甲州市)の創建は元徳2年、二階堂貞藤が夢窓疎石を招き開山しました。中世は寺運が隆盛し甲斐国の臨済宗の中心的な存在となり関東準十刹に数えられました。応仁の乱の兵火で境内が焼失し衰微しますが、永禄年間に武田信玄が快川紹喜を招き再興し菩提寺にしました。元亀4年、信玄が病死すると遺言により信玄の死が隠され、3年後の天正4年に跡を継いだ武田勝頼が喪主、快川紹喜が大導師として当寺で葬儀を行われました。天正10年、武田家が滅亡すると佐々木義治が恵林寺に逃げ込み、織田側の引渡し要求を拒否した事で焼き討ちとなり、快川紹喜は三門に立て籠もり焼死したと云われています。本能寺の変で信長が死去すると徳川家康が領主となり恵林寺を再興、雲巌寺(栃木県大田原市)に逃避していた末宗瑞曷を呼び戻し堂宇を再建しています。宝永元年、柳沢吉保が甲府藩の藩主となると境内の整備が行われ、享保9年、2代吉里が大和郡山へ移封になると菩提寺だった永慶寺から吉保の遺骸が恵林寺境内へ改葬されました。境内には武田信玄の墓碑と柳沢吉保夫妻の墓碑が建立されています。明治38年の火災で多くの堂宇が焼失しましたが四脚門(国指定重要文化財)や三門(山梨県指定文化財)、庭園(国指定名勝)などが残り、数多くの文化財を所有しています。
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