山梨県・甲州市・放光寺

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【 概 要 】−放光寺(山梨県甲州市)の創建は不詳ですが平安時代に大菩薩峠の山麓に法光寺と称する山岳信仰の寺院として開かれたのが始まりと伝えられています。寿永3年、当時の領主安田義定が山梨郡藤木郷へと移転させ賀賢上人を招いて天台宗の寺院として開山、歴代安田家の菩提寺となりました。安田氏が滅ぶと武田氏の祈願所として庇護され寺領の寄進や諸役の免除が行われると寺運が隆盛し、最盛期には甲斐国檀林7ヶ寺の触頭の格式を得て、寺領1000石、塔頭12、末寺70ヶ寺を抱える大寺となります。天正10年、織田信長の甲斐侵攻で武田家が滅ぶと、武田家縁の神社や寺院が破却され放光寺もその兵火により多くの堂宇を焼失します。信長が本能寺に変で倒れ、徳川家康が領主になると放光寺は再興され寺領として小曽郷が安堵、その後の領主からも堂宇の造営や寺領の寄進が続き寛文18年には江戸幕府3代将軍徳川家光から朱印地状を賜わっています。現在の放光寺本堂は慶長年間、武田家の遠縁にあたる甲府藩主柳澤吉保と放光寺中興の祖とされる保田若狭守宗雪が再建したもので一重入母屋造、銅板葺、桁行9間、梁間6間、江戸時代中期に建てられた方丈形式の寺院本堂建築の遺構として貴重な存在で甲州市指定文化財に指定されています。
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