山梨県・甲州市・大善寺

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【 概 要 】−大善寺(山梨県甲州市)は当寺に伝わる伝承によると、奈良時代に全国各地で修行を行った行基により創建されたと伝えられています。本尊の薬師如来像(国指定重要文化財)も行基により制作されたものと伝わり、大善寺では、行基が修行中にブドウを持った薬師如来が現れたので、それをそっくり真似て彫刻し、栽培方法を住民に教授したとされ、後に勝山地方が一大ブドウの産地になった為、関係者からは信仰の対象となり「ぶどう寺」とも呼ばれています。その後、大善寺は在庁官人の出身と思われる三枝氏が大旦那となり、庇護されたと思われ、境内を見下ろせる柏尾山からは康和5年(1103)に寂円の発願で三枝守定、三枝守継により経塚が築かれ経筒が埋納されています。鎌倉時代に入ると幕府の庇護となり弘安9年(1286)に棟別銭を課して再建されたのが現在の本堂(薬師堂)で内部に収められる厨子と共に国宝に指定されています。南北朝時代にはその動乱により本堂以外の建物は焼失、南朝方の有力武将である斯波家長が文書を発給するなど保護に努めています。室町時代以降は甲斐国守護職となった武田家や、武田家に従った当地の領主小山田氏から庇護され、天文19年(1550)には小山田信有が子供を伴い参拝に訪れ、天正10年(11582)には織田家の信濃、甲斐進撃の際には武田勝頼が居城である新府城を放棄して小山田信茂の居城である岩殿城に向かう途中、大善寺で参拝し武田家再興の祈願が行われています。武田家滅亡後は、徳川家や甲府領主から庇護され、江戸時代には朱印地32石6斗が認められ、境内、堂宇共に維持されました。
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