山梨県・甲府市・東光寺

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【 概 要 】−創建は不詳ですが東光寺に伝わる伝承によると保安2年(1121)に甲斐源氏の祖となった新羅三郎義光(源義光:源頼義の3男)が国家安寧の祈願所として一宇を設けたのが始まりとされます。当初は興国院と称し密教寺院でしたが衰微し、弘長2年(1262)又は文永年間(1264〜1274年)に蘭渓道隆(中国の名僧)によって再興され寺号を東光寺、宗派を禅宗に改めました。その後は当地方における禅宗の中心的な施設として寺運が隆盛し北条高時(鎌倉幕府執権)から諸山(五山・十刹に次ぐ格式)の位を与えられました。戦国時代の天文年間に武田晴信(信玄)が帰依し法蓋山東光興国禅寺に寺号を改め「甲府五山」に選定されました。当時の住職藍田恵青和尚は信玄の叔父(武田二郎)にあたる事から武田家との関係が深く、篤い庇護を受けました。又、東光寺は武田家の流刑地的な存在で諏訪領主諏訪頼重や謀反の疑いで捕縛された武田義信(信玄の嫡男)などが幽閉され自刃、境内には墓碑が建立されています。天正10年(1582)、織田軍の侵攻で武田勝頼が自刃した際、東光寺も焼き討ちにあい多くの堂宇や仏具が焼失しましたが、その後再興され加藤光政(天文19年4月5日に禁制発布)や平岩親吉(徳川十六神将の1人、当時6万3千石、慶長8年に禁制発布)から庇護されています。江戸時代中期に甲府藩主となった柳沢家からも篤く庇護され境内の整備や仏像の修復などが行なわれ柳沢吉里の子供で共に早世した、幸三郎と時英が東光寺に葬られ墓碑が建立されています。寺宝も多く仏殿が国指定重要文化財に指定されている他、絹本着色水墨墨竹図、木造薬師如来坐像、木造薬師十二神将像、蘭渓道隆書簡が山梨県指定文化財、東光寺庭園が山梨県指定名勝にそれぞれ指定されています。
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東光寺(甲府市):周辺の見所

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