【 概 要 】−塩沢寺は平安時代初期に真言宗の開祖である弘法大師空海が彫刻した地蔵尊を前身とした寺院です(弘法大師は塩沢寺がある湯村温泉を発見したとも云われています)。弘法大師空海が地蔵尊を彫刻した約150年後に空也上人(平安時代中期の高僧。阿弥陀聖、市聖、市上人とも呼ばれた。)が当地に錫を止めると、弘法大師空海が彫刻した地蔵尊があまりにも霊験が高かった事から、自分もその地蔵尊を模した地蔵像を彫刻し一宇を設けて安置したそうです(由来上は空也上人が塩沢寺を開山したとされます)。鎌倉時代に臨済宗建長寺派の祖である大覚禅師も塩沢寺を訪れると、その霊験に驚嘆したそうです。江戸時代に当地に流された良純法親王の配所は塩沢寺の境内付近にあったとされ、それが事実とすれば塩沢寺に参拝した可能性も高いと思われます。良純法親王は、江戸時代初期の皇族。後陽成天皇の第8皇子で母は典侍庭田具子(権大納言庭田重具の娘)、元和元年(1615)に徳川家康の猶子となりましたが知恩院門跡への地位の不満や幕府からの圧力の不満などで何等か対立があり当地に流されたと思われます。塩沢寺の境内に建立されている地蔵堂は室町時代末期の古建築物として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
|