山梨県・甲府市・法泉寺

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【 概 要 】−法泉寺の創建は元徳2年(1330)、武田信武が月舟禅師(夢窓国師の高弟)を召還し、境内を整備、月舟禅師は開山者を夢窓国師、自分は2世としています。武田信武は甲斐源氏嫡流甲斐武田氏の第10代当主、元々は安芸国守護職を担っていましたが、倒幕から南北朝の動乱で台頭し、石和武田家から甲斐守護職を引き継ぐ形で甲斐国に入り法泉寺を創建しています。武田信玄の代になると祈願所に定められ、甲府五山に列すると寺運が隆盛します。天正10年(1582)、天目山の戦いで勝頼が敗れると、勝頼の首級はは京都六条河原にさらし首となりましたが法泉寺の快岳宗悦和尚(家臣とも)が歯髪の一部を密かに持ち帰り法泉寺の境内に埋葬したそうです。その後、領主となった徳川家康は勝頼の菩提寺として庇護し寺領37貫5百文を安堵、江戸時代に入ると御朱印地54石を領し末寺26ケ寺を有しました。寺宝が多く、鎌倉時代末期に製作されたと推定される釈迦如来座像と夢窓国師座像、法泉寺古文書、文化10年(1813)に建立された経蔵と内部にある木造八角輪蔵、寛永13年(1636)に建立された鐘楼門が甲府市指定文化財に指定され、武田信武、武田勝頼之墓が昭和56年(1981)に甲府市指定史跡に指定され石造井戸側(慶安2年:1649、安山岩製、深さ52.5cm、外幅85.5cm、内幅63.5cm)が昭和55年(1980)に甲府市指定有形民俗文化財に指定されています。
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