山梨県・南部町・最恩寺

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【 概 要 】−最恩寺の創建は長久年間(1040)に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は天台宗の寺院でしたが、応永年間(1394〜1428)立翁禅師が臨済宗に改宗、甲斐源氏後裔の武田家の庇護の下、仏殿、方丈、庫裏など境内が整備され、武田信玄も駿河国侵攻に際し当寺に訪れ寺領を寄進したと伝えられています。応永25年(1481)、武田家の一族である穴山氏が領主になると穴山氏が庇護し禁制や棟別諸役免除などが行われました。当時の領主穴山信君は天正10年(1582)の織田信長甲斐侵攻の際、早々と織田側に寝返り領土を安堵されましたが、安土城(滋賀県安土町)に在城時に本能寺の変が発生し本国へ戻る途中に土民により撲殺され、跡を継いだ勝千代も天正15年(1587)に病死し穴山家は断絶しています。天正17年(1589)、勝千代の母である穴山梅雪夫人(見性尼)が息子の菩提を弔う為、中興開基し菩提寺としました。貞享2年(1685)、火災により多くの堂宇が焼失しましたが仏殿は奇跡的に被害を免れ今日まで残されています。現在の仏堂は応永2年(伝:1395)に建てられたもので入母屋、銅板葺、一重もこし付、桁行2間、梁間2間、中世の関東禅宗様式の特徴が見られ、組物や彫刻などの細部も当時の姿をほぼ残しており純唐様建築の代表的な遺構として国指定重要文化財に指定されています。寺宝である絹本着色穴山勝千代画像は穴山梅雪夫人(見性尼)が描かせたもので紆余曲折の後、明治に入り最恩寺に譲られ山梨県指定文化財に指定されています。
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