山梨県・笛吹市・遠妙寺

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【 概 要 】−遠妙寺は鎌倉時代後期の弘安年間(1278〜1287)、日朗上人(鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧。日蓮六老僧の一人。号は筑後房。大国阿闍梨とも称する。)によって創建された古寺です。伝承によると源平の最後の合戦となった壇ノ浦の戦いで平家が敗れると、平家の組織的抵抗は終焉、その際、三種の神器の内の1つ神鏡を守り、源氏方に捕縛された平時忠(正二位、権大納言、「平家にあらずんば人にあらず」の名言を吐いた人物としても知られています)は一命を許され能登半島(石川県)に流されました。一般的には能登半島で時忠は死去した事になっていますが、当地には時忠は配流先から脱出し当地に流れ着いたとされ、「鵜飼」という漁法を開発しそれを生業にしていたそうです。しかし、禁猟を犯した為、再び捕縛され簀巻きにされ川に沈められ死去しました。すると時忠は悪霊となって罰した役人をはじめ村人にも悪行を重ねました。するとたまたま通りかかった日蓮上人が川原にあった小石に「南無妙法蓮華経」を書き込み川に沈めて念仏を唱えると、時忠の霊が現れる事が無くなったと伝えられています。一方、当地に伝わる民話には平時忠ではなく鵜飼勘助という漁師として略同じような内容となっています。又、一説には鵜飼勘助を日蓮上人が助けたとの伝承も残されてます。何れにしても日蓮上人縁の地に弟子である日朗上人が御堂を建立し供養したとされ明徳元年(1390)に日梵が現在地に境内を移し本格的な寺院として開山しています。その後は日蓮上人縁の寺院として身延五ヶ寺に数えられ繁栄しました。
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遠妙寺(笛吹市):周辺の見所

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