山梨県・韮崎市・願成寺

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【 概 要 】−願成寺の創建は宝亀2年、心休了愚法印が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。当初は京都祇園寺の末寺でしたが延長6年、堂宇を建立し地蔵菩薩を安置、願成寺に寺号を改称しています。その後、衰退しましたが平安時代末期、この地の領主となった武田信義が再興しています。武田信義は鎌倉幕府創世に尽力しましたが源頼朝は同族の台頭を許さず、その画策により武田家は衰退を余儀なくされ、願成寺も衰退しました。戦国時代に入ると甲斐守護職となった武田信虎の甥が住職となり天台宗から臨済宗に改宗し再興、再び隆盛します。天正10年の織田信長の甲斐侵攻の兵火と慶長12年の火災により衰退、宝永15年、然重応廊和尚が曹洞宗に改宗、万治元年に赫山和尚が再興し堂宇を再建しています。寺宝である木造阿弥陀如来及び両脇侍像は武田信義が寄進した平安時代末期に製作されたと推定されるもので国指定重要文化財に指定されています。又、鎌倉時代初期の五輪塔(武田信義の墓)、山号額(後白河法皇の勅額、馗安が揮毫)、阿弥陀三尊像(御霊殿の本尊)が韮崎市指定文化財に指定されています。
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願成寺(韮崎市):周辺の見所

願成寺 一石百観音石像 宗泉院
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