山梨県・山梨市・永昌院

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【 概 要 】−永昌院の創建は不詳ですが古くは禅定院と称し真言宗の寺院だったと伝えられています。文安4年(1447)又は永正2年(1505)に当時の甲斐守護職武田信昌が一華文英禅師(信昌の従兄弟)を招いて曹洞宗の寺院として中興開山、以後、武田家の庇護の下寺運が隆盛し、甲州曹洞宗常法幢7刹の1つに数えられ最盛期には末寺96ヶ寺を擁する大寺となりました。天正10年(1582)に武田家が滅ぶと庇護者を失いますが、江戸時代に入ると幕府が庇護したことで寺領が安堵され、特に甲府藩主となった柳沢家は境内を整備するなど尽力を尽くします。江戸時代中期になると曹洞宗常恒会地に昇格し、修行僧も常時80人ほど抱えていましたが明治42年(1909)の火災で総門、鐘楼、経蔵の3棟以外の建物が焼失するという大惨事となります。その後、随時再建され武田家縁の品々など現在でも多くの寺宝を所有しています。
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