山梨県・身延町・本遠寺

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【 概 要 】−本遠寺の創建は慶長14年(1609)、徳川家康の側室養珠院が堂宇を建立し、この地に隠棲していた久遠寺22世日遠が開山したのが始まりと伝えられています。その後、本遠寺は幕府の庇護の元、寺運は隆盛し正保3年(1646)に3代将軍徳川家光から260石の朱印状を賜わると歴代将軍もそれに見習い、最盛期には日蓮宗本山42ケ寺の一つに数えられ末寺21ヶ寺を擁する大寺となりました。慶安3年(1650)、養珠院の実子である徳川頼宣と徳川頼房が本堂以下諸堂を建立、承応2年(1653)に養珠院が死去すると本遠寺で葬儀が行われ、境内に埋葬されました。養珠院は女人禁制であった七面山に登った初めて女性だったことから女人信仰の道場として多くの参拝者があり寺運も益々隆盛しましたが、慶応3年(1867)の火災により本堂、鐘楼堂以外の建物が焼失し、明治維新後は庇護者を失い衰退しました。甲斐百八霊場の第104番札所。
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