【 概 要 】−天沢寺は文明4年(1472)、鷹岳宗俊和尚(雲岫宗竜の法嗣、雲岫宗竜は笛吹市一宮町に境内を構える広厳院の開山者として知られる。)が草庵を設けたのが創建とされ、文明7年(1475)に武田家の家臣で亀沢領の領主飯富虎昌が現在地に境内地を寄進し寺院として整備されました。武田勝頼時代には飯富家の後裔とされる山県昌満が中興すると寺運も隆盛し境内が整備されました。天正10年(1582)に武田家が滅ぶと庇護者を失い一時衰微しましたが、天正11年(1583)に新たに領主となった徳川家康が庇護し、江戸時代に入ると寺領25石が安堵され、甲府城主の平岩親吉(甲府藩主時代は6万3千石、徳川義直が甲府に入封すると義直の守役・代理として引き続き甲斐を統治し、義直が尾張に移封になると附家老として尾張に随行しています。)や甲府郡代の平岡勘三郎などが禁制を発布して天沢寺を保護しています。境内には飯富虎昌・山県昌景の墓碑(供養塔?)が建立されています。六地蔵幢が山梨県指定文化財、楼門と木造摩利支天像、愛染明王、徳川家康朱印状、伊奈熊蔵寺領証文、平岩主計頭禁制、平岡勘三郎禁制が甲斐市指定文化財に指定されています。
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